嘔吐恐怖症と知らなかった頃

嘔吐恐怖症

私が嘔吐恐怖症という言葉を知る前、小学生の頃からについて書いていこうと思います。

体調と気持ちの変化

小学4年生の頃あたりから気持ち悪いと感じることがものすごく多くなりました。

具合が悪いわけではないけど気持ち悪い、もどしてしまったらどうしよう、毎日そんな気持ちでした。

母に毎日のように気持ち悪いと伝えていたので病院に連れて行ってもらい、胃薬や調整剤を処方されました。

給食のあとに気持ち悪くなることが多かったので、毎日給食を食べたあとに処方された薬を飲んでいましたがそれでも良くなることはありませんでした。

授業中や学年集会などじっとしてなきゃいけない時間ほど気持ち悪くて、自分が気持ち悪いのと同時に周りの人が気持ち悪かったらどうしようという気持ちが強くてそれが怖さになっていきました。

それがどうしてなのか小学生の私にはわからなくて母には気持ち悪いとかもどしたらどうしようとしか伝えることしかできず、胃薬もらってるんだから大丈夫 と言われその言葉を信じることしかできませんでした。

それからはだんだんとなんともない日もあれば、誰かが具合悪そうにしてると私も気持ち悪くなってしまったり、すごく波がありました。

私自身がもどすことはなかったのですが、誰かがもどしてしまったとき、飲み会のたびに母がもどすとき、テレビでもどすシーンがあるとき、私は心臓が飛び出そうなほどの動悸と体の芯が冷たくなり気を失いそうな恐怖ととにかく気持ち悪いという症状が出るようになりました。

そういうことがあると数日から数週間の間はご飯を食べるのも気持ち悪いし授業中も気持ち悪いしなんで私がこんな目に遭うんだろう、いつになったら治るんだろう、大人になったら平気になるのかなと思いながらひたすら耐えていました。

しかし子供の頃から大人になっても直ることはなく、むしろ恐怖心は強くなりました。

嘔吐恐怖症を知ったきっかけ

嘔吐恐怖症という名前があることを知ったのは10代後半の頃でした。

ネットニュースである女優さんが嘔吐恐怖症だという記事をたまたま目にして、症状を調べるとまるで私のことを書いているんじゃ?と思うほど全てが私の気持ちと症状と一致していました。

それまでは自分がもどすこと、周りの人がもどすことが異常に怖いというだけで私以外にこんな人いないと思っていたので、私だけじゃないんだということを知れただけで涙が止まりませんでした。

苦手な事と気をつけていた事

外食が苦手、お酒の場はもっと苦手、賞味期限を異常に気にする、好きな芸能人が出ているドラマももどすシーンがないかヒヤヒヤするから心の底から楽しんで見られない、車で遠出ができない、バスや電車が苦手、もどすことに関する言葉や文字が苦手。

恐怖心や苦手なことが増えた分、事前に回避しようとするようになりました。

なるべく外食に行かない、外食したとしても周りに目がいかないようにスマホゲームをして気を紛らわせる、お酒の場に行かない、ドラマはなるべく見ない、賞味期限が1時間でも切れたものは食べない、家族の食べるものの賞味期限も気に掛ける、バスや電車に乗らない、自分で運転する。

こちらで書いた通り、人に自分のマイナスな面を伝えることができなかったので嘔吐恐怖症だということも誰にもバレないように生活していました。

結局嘔吐恐怖症だと夫さんや母に伝えたのは、パニック障害だと自覚してなにもかも全てが恐怖になってしまったタイミングでした。

せめて自分が嘔吐恐怖症だとわかった時点で伝えることができていたらと今は後悔しています。

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